神社について

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御由緒

当社は延喜式内社で、延長五(927)年に編纂された『延喜式』神名帳に、
「摂津国島下郡、伊射奈岐神社二座」云々とあり一座がこの神社であって、
千里丘陵の中間で万国博覧会会場になった地域に隣接する高庭山に鎮座している。
皇大神御霊と共に内裏に奉斎されていた豊受大御神の御霊が人皇第十代崇神天皇の御宇、皇居を離れさせられ、
後に丹波国与謝郡(現在の福知山市)の比治真名井に遷し奉られたが第二十一代雄略天皇二十二年、
皇大神の御神誨により現在の伊勢市山田、高倉山麓の山田ヶ原に遷座し奉られたとき、
伊勢斎宮皇女倭姫命の御示教により、大佐々之命が、五柱の神を奉祀するべき霊地を諸国にもとめ、
ついにこの山田の地に奉祀せられたと云う。
又山田と云う地名がこの様な処から山田原と称し、
伊勢山田から名を移したのであると伝えられている。

貞観元(859)年正月従五位上を授けられたとの記録がある。
(『日本三代実録』貞観元年正月の条に「二十七日甲申京畿七道諸神進階及新叙惣二六七社云々、奉授摂津国従五位下、伊射奈岐神従五位上」)
延喜の制に大社に列し、祈年月次新嘗の祭事に案上の官幣を預かった名祠である。
明治六(1873)年郷社、俗に五社宮、姫宮とも称し
山田町、千里丘、千里ニュータウンを含む産土大神である。

イメージ

祭神

伊射奈美之命結婚・安産・厄除

相殿

天児屋根命学業成就・開運厄除
天手力男命スポーツ・開運の神
天忍熊根命雨乞い・雨止め
蛭 子 命豊漁・豊穣・商売繁盛

末社

稲荷社稲荷大明神
弁財天市杵島比売命
天満宮菅原道真
八王子社八王子神
八幡宮応神天皇